D.日本に於ける西欧型の靴の歴史


 洋式の革靴を履いていた最初の日本人は坂本竜馬だといわれています。

 幕末期、将軍家の権力は弱まり、少しずつ鎖国の実行力も薄れてきます。そのため、外国との非公式な交易が各所で行われ西欧の文化が少しずつ日本に入ってくるようになりす。竜馬は当時最新の技術であった写真術によりその姿を銀板に残しましたが、足元には革靴が写っていました。

   明治維新になり鎖国制度が撤廃されても一部の人々を除き、靴を履く習慣は一般化しませんでした。明治以前の日本では日本家屋の構造と密着した下駄、草鞋、草履を中心にした独自の履物文化が成立していました。日本家屋は一部の土足スペースのみ履物で出入りできるだけで、殆どのスペースでは土足厳禁でしたので家への出入りの度に履物を脱ぎ履きする煩わしさから日常の履物にはおもに下駄と草履が利用されました。


   


 庶民が靴を履く機会は徴兵による軍隊生活の期間にほぼ限定されていました。 残念なことに日本の軍隊では天皇制の不文律(天皇からの支給品たる軍服、銃器、軍靴などの御下賜品に文句を付けてはならない。)により、兵士からのクレームを受け入れず『粗悪な靴』を改良無しに長年生産し支給してきました。 明治維新の時期には近代的な軍隊を組織するため、真摯に海外の新しい技術を取り入れていた日本政府と軍部は日清、日露の勝利を境に精神主義的になり、次第に思考が硬直化してゆきます。先の大戦のとき前線の要望に答えてたびたび軍靴を含む装備の改良に努めたアメリカ軍と、兵士の意見を汲み取らず不完全な装備を兵士に強要した日本軍では両者の間に大きな戦力差を生んだと言われています。

 私見ですが、このことが庶民に革靴は『履き心地が悪いもの』との印象を与えたことも革靴の普及を妨げる一因となったのではないかと推察してます。 

 第二次世界大戦を敗戦で迎えた日本は進駐軍指導の社会制度改革をきっかけとして急速に『アメリカ化』が進み、1950年代中ごろから男性を中心に革靴を履くことが一般化します。
 最初はひも付きの革靴が主流を占めていました。当時は自家用車の保有率が非常に低く、専ら公共交通機関と徒歩が最大の移動手段でしたので、十分に足をサポートすることのできる靴は必需品でした。
   女性はまだ外出着に和服が一般的でしたので、下駄や草履を履いていました。  
 子供達は『前ゴム』と呼ばれるズック靴が広く普及していました。
 60年代にはようやく戦前の生活水準にまで立ち直り、衣料ではジーンズが一般に普及し始めます。70年代にはモータリゼーションの到来とともに個人の自動車保有率も急速に上昇を始めます。日本人のライフスタイルは急速にアメリカナイズされ、若者の履物もほぼ欧米人と同じ水準のものに変わってゆきます。

 IVYブームでローファが大衆化し、以後革靴の主流はローファに代表されるスリップオンタイプに移行してゆきます。70年代後半にはアメリカで健康志向からジョギングブームが起こり、これに触発される形で日本ではスニーカーブームが起こります。これ以後、80年代中半まで、高品質のスポーツシューズが若者のステータスシンボルにまでなってゆきました。

 80年代後半からのバブル経済とともにスポーツシューズは大衆化してゆきます。同時期、ブランド志向からファッションブランドとともに本格的な高級革靴も国内で本格的に販売されるようになりました。90年代に入るとバスケットのスーパースターマイケルジョーダンの登場とともに『エアジョーダン』に代表される限定生産のスポーツシューズが人気を集め、若者のファッションとしてジーンズとスニーカー(スポーツシューズ)は定番化します。1995年のエアマックスでスニーカーブームは頂点に達します。

 日本は90年代後半にはアメリカに次ぐスポーツシューズ市場に成長します。

 市場規模で世界第二位のとなった日本ですが、残念ながらシューズの使い方(履き方)に関しては先進国では最低の水準にあります。

 高品質で高性能な靴が大量に輸入されていながら、それを正しく使う技術が輸入されていないのが現実です。

 正しい使い方に関する情報がユーザーに提供されていないため、本来の性能が発揮できないばかりが、本来の耐久性も維持できず、短い使用期間で壊れてしまった靴を見ると心が痛みます。
 大半の日本人が靴の価格に割高感を感じるのは、実は、正しい使用法を知らないため靴を壊してしまっていることを自覚していないことに起因すると考えます。